●人々に蘇りの力を与える仕事として
講演家になると決める
15年以上勤めたOMRONを辞め、どうやって独立を成功させて来たか、これも皆さんの参考になると思いますのでおつきあい下さい。
でも今から考えれば、全く無謀としかいいようのない独立でした。
会社を辞めるかどうか、何年も悩んだものです。
何しろ会社勤めはいろいろ意のままにならないことも多いですが、毎月給料という固定給が入るのは、とても大きなメリットでしたから。
独立したら、たちどころにその固定給が入らなくなるのですから、その恐怖感を払拭するだけでも大変です。
独り身なら、自分のことだけでいいですから何とかなりますが、結婚もし、子供も二人抱え、さらに家を建ててローンを抱えた中での決断ですから、大いに悩んだものです。
『食べていけなくなったらどうしよう』
『ローンが払えなくなったら家を手放さねばならない』
『家族四人、路頭に迷ったら困るな』
そんな心配事が頭の中をグルグルグルグル回るのです。
しかし、それでもどうしても独立したくて決心したのでした。私が39歳の時です。
でも独立して本当によかったと思います。なぜなら自分好きなことで、メシが食えるのですから。
確かに、不安だらけの出発でしたが、幸い潜在意識の使い方をよく知っていたので、ここまで来られたのです。
まさに、潜在意識様様です。
『人々に蘇りの力を与える仕事』・・・これが私の最もやりたい仕事です。
なぜ、そんな仕事をしたいと思ったかというと、自分自身がどん底から蘇ったからです。
私は、どん底に陥ったおかげで、人生の師、沖正弘先生に出会い、何千年もの間、連綿と伝わり、人類最高の叡智と言われるヨガを教わり、救われたのです。
そして、毎週日曜日、沖ヨガ下北沢支部で、日曜ヨガ教室を友達とやっていたのです。
その時の楽しさは、今でも忘れられません。
教室では、ただ単にヨガの体操を教えるだけではなく、ヨガ生命哲学を中心にした成功哲学や光明思想を熱っぽく語って、いきいきとしている自分がそこにはいました。
そのせいか、この日曜ヨガ教室は、足の踏み場もなくなるほど大盛況となりました。
教室も『積極ヨガ教室』と名付けていました。
どうやら私は、人々をやる気にさせ、モチベーションをかけるのが、得意のようです。
独立したら、講演やセミナーで生計を立てて行こうと思ったのです。
ところが、いざ独立して講演やセミナーをしようと思っても、誰も話を聞いてくれる人がいません。
それはそうでしょうね。だって見山敏と言っても全く無名ですから。
企業研修をやろうと思って、会社四季報を買って、片っ端から人事部や教育部にアポを取るのですが、全て空振りです。
そうこうしているうちに、何の貯えもなく独立したので、たちまち金欠病になりました。
正直言って、あの時の不安感というのは言いようがなかったですね。
その時、思ったのです。
こうなると何が何でも知名度を上げるしかないと。
そのためには、本を出版することだと。
もちろん自費出版するほど貯えなどありませんから、とにかく原稿を書いて出版社に持ち込もうと。
今から考えれば、これも無謀な思いつきですね。
出版社の方でも、本が売れないと大きな赤字になるのですから、無名な人の本なんてとても危険で出せないというのが本音でしょう。
しかし、私は全くの素人、こわいもの知らずです。
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